人間一休さんの酬恩庵

一休さんのお寺

酬恩庵(しゅうおんあん)。臨済宗大徳寺派。枯山水の石庭、一休宗純(一休さん)の木像のほか、「一休寺納豆」でも有名。「一休寺」とも呼ばれ、多くの人が訪づてれいます。

 

梅雨の今、沙羅双樹(夏椿)がお庭に咲いていました。

平家物語・「祇園精舎」の冒頭部分は次の一節から始まります。

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 

晩年、一休さんは、大本山・大徳寺の「徳禅寺」住持となったものの、このお寺から約30キロの道のりを輿で通っていました。方丈に奉られている一休肖像の隣の部屋には愛用したとても小さな輿も置かれています。

大徳寺に住まわなかった理由は定かではありませんが、紫衣(高僧の証)を纏う権威の世界の居心地悪さや若き盲女の旅芸人・森女との晩年の水入らずの生活を何よりも楽しんでいたとのことです。

 

「世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」の名言や、お正月には竹ざおの先に髑髏を括り付け、「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし 御用心!、御用心!」といって町中を歩き回った奇行を通じて、トンチに富んだ言動で世の現実の中にある「本質」を突きつけたお坊さんでした。

若き頃に自殺も決意したこともあるこの禅宗の名僧の思想には、世間の常識を超えることが悟りを開く一歩というものだったのかもしれません。

 

このお寺で88歳の生涯(1394-1481)を閉じる際には、「死にとうない」と述べたと云われています。 合掌