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坂本城近くの西教寺

西教寺(さいきょうじ。比叡山東麓の大津市坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置。天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いと言えないが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有します。

 

信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ、光秀はこの地に坂本城を築きましたが、城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く、寺の復興にも光秀の援助があったと思われます。

 

光秀が戦死した部下の供養のため、西教寺に供養米を寄進した際の直筆の寄進状が寺に現存し、また、光秀の妻、煕子(ひろこ)の墓所があり、光秀一族の菩提寺としても知られいます。当時の戦国武将は妻の葬儀に参列しないことが慣わしでしたが、光秀は熙子の葬儀に参列したという逸話が住職により語り継がれており、光秀の愛妻家な一面を知ることができます。 

 

本能寺の変を決意した句として「時は今 雨がしたしる 五月かな」が有名ですが、辞世の句は2つあり、その一つが「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」。

意味は「修行の道には順縁と逆縁の2つがあるが、どちらも同じ1本道である。つまり順境も逆境も実は一つで、究極に言うと人間の心の源に達する大道である。私の55年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰する」

光秀の哲学がわかる句です。

 

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●西教寺、正式名「兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)」

●天台系仏教の一派である天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山

●ご本尊:阿弥陀如来さま

●2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定